9日に父が亡くなりました。くも膜下出血でした。

その日の朝はいつものように書斎にいるお父さんに行ってきますって声をかけて、頑張ってこいよーと言ってくれて私は塾に出掛けました。
塾で過去問を解いていたんだけどすごく具合が悪くなって母に迎えに来てもらおうと電話をかけたら早く帰ってきてって言われて。
あとで聞いたらその時にはもう亡くなってたみたいだけど私が一番お父さん子だからお母さんもなんて言おうか迷っていたらしく、丁度その時に私から電話がかかってきたと言ってました。
私がタクシーで家に着いたときは母と祖母が病院に行っていて、近所の人が一階の寝室を忙しく片付けていました。
夕方警察の霊安室に会いに行ったときもうお父さんは冷たくて、そのあとのこととか全然覚えてないけど、とにかく警察の人が家に来たり慌ただしかった。
検案があったりで家にお父さんが帰ってきたのは2日後だったのだけど、その時にお母さんが泣き崩れるのを見てそれが一番ショックだったかもしれない。
亡くなってから葬儀までがちょうど一週間かかったから、お父さんが帰ってきてからはお父さんの布団の周りに家族で寝て。
自宅に4日間いるって聞いて長いなと思ったけど実際はあっというまだったな。
会いに来てくれたたくさんの人にお花をいただいて華やかだった。
眠っているみたいな顔で(笑ってるみたいだった)それがせめてもの慰めかなと思う
それで私は睡眠時間が3時間とか4時間で勉強時間はほぼ0に近いまま14日にセンター試験を受けて、センター終わってからはゆっくりして。
お通夜と告別式は本当にたくさん人が来てくれた。
それで昨日お骨が家に帰ってきて。
怒濤の10日間だった。
こんな風にお父さんと別れるなんて思ってもみなかった。
小さいときにひげでほっぺをじょりじょりされたりお父さんと布団で眠るといつも、目を開けるとお父さんは寝ないでずっと私の顔を見てたりとか、ピアノを弾いてると黙って電気をつけてくれたりして。
北海道にも寝台列車で2人旅したっけとか、いろいろ思い出す。

センター試験は、お父さんが買ってきてくれてあった湯島天神の鉛筆とお守りを持って行きました。
結果は全然満足いくものではなかったけど。
鉛筆が入っていた封筒に、手紙も一緒に入っていて。
もらったのは12月半ばだったんだけど、まさに試験の朝に言ってもらうような言葉で驚いた。
そんなこんなでセンターではたぶん進路が決まらないから、一般に向けてこれからちゃんとやっていかなきゃねってところです。
これからのこと考えないといけないな。
今は母のほうの祖父母とおじちゃん、おばちゃんが来ていて、あと九州の兄が帰ってきてるから家に人が多くて安心だけど、みんな帰ったら寂しくなりそうです。