おじさんが置いていったminolta SR-1と、もう1人のおじさんにもらったKONICA FTAがいまおうちにあるんだけど、どちらかはおじさん(前者)に返さないといけなくて、困っている。
フイルムで写真を撮りたかったから、嬉しいんだけど、一体どちらを使えばいいのやら。
重さはどっちもどっちって感じ。どっちもかわいいし。
写真好きだけど機械として見ると全然わからないから困ったものです。

いつでも微笑みを

前回の記事にほんとうに沢山のお星さまをありがとうございました!

受験が終わってからの長い長い春休みももうおしまいです。
前半は気が抜けて割とひきこもっていたけど、後半は少し遠出したり中学校の友達と会ったり大学の歓迎会に行ってみたり慌ただしかった。
三月は、岸田くんとなんだかんだで週に一度は会えたのがすごく良かったな。精神が安定するよ。
散歩にも行ったし本屋さんにお出かけ先を決めに行って、次の週に箱根に出掛けたり。
今週は初めて家にお招きして、お線香をあげてもらいました。
お母さんはちゃんと顔見て話すのが初めてだったからどうなることやらと緊張したけど、素敵な人ねと言ってくれてほっとしました。
岸田くんかなり緊張してたけど、思ったよりだんまりではなく母とお話ししていたのが意外。
大学ではまたきっと部活をするのだろうし、わたしも色々やってみたいことがあるから、なかなか会えなくなったりするんだろうなあ。うーん、つらそうだ
でもとにかく、これからは新しい毎日をしっかり歩いていこう。
そのことに集中していればきっと大丈夫だし、何とかなる気がする。


この冬は本当にとっても長かった。
いつのまにか、梅の花木蓮?コブシ?の花が咲いていたり、足元にはペンペン草やタンポポ水仙が咲いていて
季節が移り変わっていくのを身をもって感じてふと悲しくなるけど、
でも大げさじゃなく、ちゃんと生きてかなきゃなあと思うのです
来年の夏にはお酒が飲める年になるのに、お父さんとお酒が飲めないなんて、ね
仕事で週末もほとんど家にいなかったせいか、お父さんいや!って時期も全くなく、むしろかなりお父さん子だった。
書斎をぐるりと囲む背の高い本棚には埃ひとつなくぎっしり本が詰まっていて、そこで仕事をしている時が一番しあわせそうだった。
わたしは几帳面なお父さんの性格を引き継いでいるらしく、勉強の仕方も自分の昔を見てるみたいだってよく笑ってた。
お父さんは本当になんでも知っていて、ふとした時にお父さんあのさって訊きたくなったりこんなときお父さんはなんて言うかしらとかつい考えて、さみしい。
電車に乗るたびに、電車好きだったお父さんを思い出す。
よしもとばななさんのキッチンを月の初めごろ読んだ。
住人のいなくなった部屋はほんとうにひっそりとしてつめたい。
あらすじは知らなかったけど高校に入った頃から読みたかった本で、でも手にとることのなかった本だった。
お父さんがいなくなってから初めて本屋さんに入ったら背表紙がまっさきに目にとびこんできて、
人と人の出会いみたいに本との出会いも不思議なものだなと思った。
ばななさんは、お父さんとの別れをどう思ってるのかな
いつ別れるかは人それぞれだけどやっぱりいつかはその時が来るものなのね。
仕方ないけどやっぱりまだまだ沢山話したかったなあ。
お父さんがわたしのお父さんでよかったよっていつも思ってる。

何度でも生きよう

シングルコレクション 2002-2008

シングルコレクション 2002-2008




フィドルを弾きたい欲がすごいです、むくむくです
佐藤さんに弟子入りしたいくらい。
あと小さいアコーディオンとか、民族楽器的なものも色々演奏してみたい。
大学でそういうサークルとか、あったりするんかなー
楽しいこと考えよう。

サラバ、青春

無事に卒業しました。
中学校の時とは違って受験の間学校にずっと行ってなかったから、はい今日で卒業です、って言われても実感わかないなー
卒業式も、歌うたってるときにすこし泣きそうになったけど、小学校中学校のときほど泣かなかったな。
なんだかなあ。またあの教室にすぐみんなで集まりそうな気がするのにね。
JKもおしまいかあ。笑
アルバムを卒業式の少し前の登校日にもらって、メッセージの書きっことかして。
岸田くんにも書いて貰おうと思って教室に行ったら、えー、書くのー、これからだって会えるんだから、こんなところに書かなくったっていいじゃないかとぶつぶつ言いながら少し書いてくれて、これからも、があるんだなって思ったら安心した。
この春休みはやっとゆっくりお出かけできる。
岸田くんとは偶然大学まで電車が同じです。
家が割と近くて一緒に自転車で高校から帰ったりしてたから、そんなふうにまた大学でも新しい楽しみがふえそうです。
それもこれも(わたしが第一志望落ちてその学校に通うことになったり、岸田くんがその大学に受かったり)もしかしたらお父さんのしわざだったりしてーきゃー!とお母さんとわちゃわちゃしてるからわたし大丈夫そうだ。
きっとだいじょうぶ。
卒業式の袴の写真きれいに撮れたんだけど、どうもパソコンの調子が悪いからまた今度にしよかな。

もうすぐ春ですね


第一志望落ちました。
うーん、すごくすごく行きたいところだったからたくさん泣いちゃったー!
受ける予定だった試験をすべて受けて、次の日から今まで受けたおさえの大学の合格発表がぞくぞくとあって*1
試験受け終わって次の日にはとりあえず大学生になれるよってお母さんにもおばあちゃんにも言えてほっとさせてあげられたことはちょっと胸を張れるかな。
お父さんがいなくなった今、経済的な面もあるし、私の受験のせいでお母さんにはほんとに負担をかけてしまったし私が大学決まるまでは自分が落ち込んだらだめだって頑張っていた感じもあったから、もちろん浪人はできないし私もするつもりはないから、おさえの中から一校決めて4月から通うことにしました。
1月のはじめは、集中して勉強もいい感じになってきて、この調子でうまくいけば第一志望もセンターで決まるかもと思って頑張ってて、そんなときにお父さんが亡くなって(結局センターはおさえの大学も全部だめだった)、第一志望も、もしお父さんのことがなかったらって思わずにはいられないけど、でもお父さんのせいで落ちたとは全然思ってない。
勉強する時間も眠る時間も少なくはなったけど、お父さんのことがなくても落ちる可能性だってあったわけだしとにかくあの慌ただしさのなかであのときやれることは全部やったつもりだから後悔もない。
会う人会う人にめぐちゃんすごい精神力だよ、よく頑張ったねって言ってもらうけど、何も考えないでやってたから実感湧かないなー。
ちょくちょくは泣いたけど、わーって泣いたのはお父さんが亡くなった日に警察の安置所に会いに行ったときと、そこからまる一ヶ月あとの受験が終わったあとだけ。
なんかもう封印って感じだった。ある意味勉強してる自分が怖かった。
そんなこんなで、色々あったけど四十九日も無事にすんですこしゆっくりしてます。
岸田くんは超難関大に受かって、昨日久しぶりに電話で話したんだけどなんかほっとして泣いちゃった。
お疲れさまって言ってくれて、その一言だけでこの一ヶ月半のなかで一番安心した。はやく会いたいな。
そう、岸田くんのこと、お父さんに言ってなかったって思い出して後悔してたんだけど、お母さんにそう言ったら、全部知ってたよーとあっさり言われて拍子抜けしました。
(お母さんから筒抜けだったらしい。笑)


あと、うえの写真はおばあちゃん。
小さい頃にお母さんを亡くして、夫も病気で失って、息子に先立たれて。
どんなに辛いか想像もつかないくらいだなって思う。みんなでやさしくしていこうねって思うこの頃です


それから、お星さまたくさんありがとうございます^^

*1:おさえでうけた大学は全部受かりました