3月に山梨日日新聞に掲載されたフジファブリック志村正彦についての記事です。
前のブログでも載せたけど、また載せます。(大丈夫かな…?)




空気と土が緩み、花の季節がやってきた。
花は時季限定ゆえに華やかで、同時に儚(はかな)くもある。
花について考えるとき、思い浮かぶ人がいる

 1人の若者の話をしたい。10年余り前、ミュージシャンを目指して上京。
変幻自在な詞とメロディーによる独特の世界が少しずつ支持を広げ、率いたバンドは人気グループになった。
『桜の季節』『花屋の娘』『花』『赤黄色の金木犀』など、花をモチーフにした楽曲がいくつもある。

 『桜の季節』では、別れのやるせなさを舞い散る桜になぞらえた。
『花屋の娘』で幻想の女の子を野に咲く花のようだと歌い、『花』では愛する人の色褪(あ)せてゆく記憶を花の儚さに重ねた。
消えゆくものの比喩(ひゆ)として、消えてほしくないものの比喩として、いつも花があった。 
 
 若者の名はロックバンド「フジファブリック」のボーカル志村正彦さん。
富士吉田市出身で、故郷を愛し、「富士山は偉大な存在」と言い続けた。
29歳で急死したのは、ちょうど3カ月前のことだ。

 今年の桜が花びらを広げている。
散り際の切なさが人の命に重ねて語られる花。
その季節に彼がいないことに胸を衝(つ)かれる。
花は、咲きかけのまま逝ってしまった。

 前へ進むための本能なのだろう。
人は人の死を、忘却によって乗り越えようとする。
忘れたくないという気持ちは、時に行き場を失う。
それでも花は毎年咲き続ける。
忘れてゆくことの悔しさを無言で慰めてくれるのもまた、花なのかもしれない。


  2009.3.24 山梨日日新聞 風林火山 より